ほぼ研究室に行かないまま論文と作品提出。そのまま発表会に。
ほぼほぼ研究室に顔を出さないまま、論文と作品を無理やり完成させた。
家で起きている時に本を参考にしながらプログラムを作って。
今じゃよく覚えてないが。。。
論文も20枚以上とか決められていて、それも完成させた。
他の研究室は論文100枚とかあったらしいが、ほんとに緩い研究室で助かった。
そのまま就活もほぼしないまま、研究したことの発表会に。
人前で話すのが本当にむりだった。
ほぼカンペを読んで説明してたような気がする。
人の顔を見るのが怖かった。
質疑応答が絶対だったから、それにもなんとか答えた。
そのまま無事に単位は取れて、卒業決定。
ひどい話よな。この時にはもう障害者だとか気にしなくなってた。
周りとも極力話さないように避けてた。
卒業式は日本武道館だった。ぶっちゃけ行きたくなかったし行く気もなかった。
友達に誘われて断れなくて仕方なく行った感じ。
就活はほぼ諦めて、とりあえず働かなきゃとバイトでもなんでもいいと探してた。
あ、論文と研究に追われながら、さりげなくバイトはしてた。
まぁキャバとかガールズバーとかだけど。
人と喋りたくないのによくやってたなと思う。
お金がなかったから仕方なくという感じで。近場のところで働いてた。
よく酔っ払って潰れかけてた気がする。
この頃は飲めない酒も普通に飲んでた。
酔っ払ったら饒舌になるらしく、お客ともうまく接客できてたらしい。
やたらアフター誘ってくる客やらもいたけどほぼかわしてたと思う。
そんな余裕なかったし。
キャバは普通にキャバの店長からスカウトされてそのまま体入してって感じで入った。
スカウトされてなかったらやってなかったかもな。
全部気分だった。その時の気分。
気分の浮き沈みはとにかく激しかった。
でもシフト入れてる日はできるだけ出勤してたと思う。
気付いたら完全に引きこもりだった私も引きこもり自体は卒業できてた。
ただ情緒不安定さは異常だった。
卒業決まってどうするか、手に職をつけたいって思ってたから、プログラマーで募集してるところを応募しまくってた。
プログラミングは学校で習ったけど、言語自体がC言語だったから実際働くとなるとほぼ意味ないのがわかった。
というか今ならわかる。
なんやかんやでプログラマーの仕事が決まって4月から就職になった。
数人しかいない小さい会社。
とりあえず決まったからそっちで働く4月まではキャバとガールズバーをやってた。
シフトはキャバ重視で入れてた。時給が全然違ったから。
ホストに絡まれたのが嫌な思い出。
相変わらず薬はたくさん飲んでたし、酒で飲むことも多くなった。
担当医からはお酒と一緒に飲まないようにと何度も注意されてた。
私は「はい」と言いつつ、ODも当たり前になってたし、酒で薬飲むこともどんどん増えていってた。







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